2007/12/30

『鉄人28号 白昼の残月』(ただし途中から)

『鉄人28号 白昼の残月』を途中からになっちゃいました
けれど観ました。
(冒頭10分見逃した)
(2007/12/30 at スカイパーフェクTV! ANIMAX)

前に深夜枠でやっていた版の鉄人は観ていたので、横山光輝
絵なキャラクタそのままで繰り広げられる鉄人そのものの
「おお」という感覚はだいぶ薄れていたけれど、(何故か
若干クオリティは落ちるが)あの絵のままでこんな話を進
められるのはある意味なかなかシュールなだなぁなんて思
いつつ作品に入っていく。

しかしながら、作り手の勝手な自己満足(それとも作り手
側の想像力の限界?)がちょくちょく現れてそれを阻害し
ていく。

アニメーションとして、そして企画としてはとても良かっ
たと思えるだけに結果的には(たぶん)脚本・監督のクオ
リティがそこに達していなかったがためにものすごくいび
つな作品になってしまっていたのがとても残念でした。

元々の設定が持っている、例えば正太郎が車を運転したり
とかあのコントローラで動くとかそういうところはもう既
に幼少時代からデフォルトで頭の中に入っているからそれ
でいいのだけれど、戦後感を漂わせることが圧倒的に下手
というか上っ面だけしかないんだよなぁ。
あんたら素人かいというレベル。

そういう点で『…続・三丁目…』や(ちょっと路線は違う
が)『…大人帝国…』はホントうまかったなぁと思いまし
た。(ううむここらへんはちょっと誤解されそうな気もす
るが他にうまい表現の仕方が見つからない)

それでも嫌いになれないところがあるだけにホント、余計
に残念。

2007/12/22

「ロリータ」(1955) ウラジミール・ナボコフ

「ロリータ」を読みました。(新潮文庫、若島正訳版のほう)

キューブリックによる映画『ロリータ』は私のとても好きな作品のひと
つではあるものの今まで手を付ける事はなかったのですが、機会をもら
い読む事が出来ました。
読むきっかけをくださった方々、ありがとうございます。


さて、そのような(どのような?)きっかけで読み始めたこの作品です
が、出会う事が出来て良かった。本当にそう思える作品でした。

「序」でこの物語の構造がある程度示されてはいたのですが、その上で
始まった「第一部」の冒頭ですっかりやられてしまいました。
なんだ、これは。

この物語そのものが持つトリック、キャラクタと一部の地名を仮名にし
たことと、作中の筆者となる主人公が精神的におかしくなっているとい
う前提の上での一人称ということで現実と非現実の区別がつかなくなる
部分が有る事、そして内容がインモラルであるが故の間接的な表現、こ
れらすべてを示した上で始まった「第一部」冒頭の、言葉の使い方の素
晴らしい事!


最初に挙げた仮名は、そのキャラクタを表現する上で読者の想像力を刺
激すると同時に、手塚治虫も使っていたキャラクタの顔を別のキャラク
タに変えていくような技法の使い方にもなっていた。
現実/非現実の区別のつかない一人称も、その時々の状態が果たして現
実なのか非現実なのかを読者に常に考えさせる。
間接的な表現の多用もまた読者の想像力に委ねたもの。
これらの部分は「ドグラ・マグラ」を思い起こさせました。

そしてさらに物語はロードムービーやミステリの様相まで帯びてくる。

それらすべてをアメリカの当時の文化というヒントで表現することのう
まさ。

そしてそれらを包み込むのが前述のような言葉ですもの。
これで恋に落ちないはずがありません。

しかしながら、何せ常時頭を使うこの作品。
エネルギーを使うこの作品は図書館で借りた=2週間の期限付きで読む
のは、体力の落ちている時期というのもあって正直途中挫折しそうでし
た。
それでもそれらを包み込むのが前述のような言葉ですもの。
最後には無事読み終える事が出来ました。(本の期限は過ぎてしまいま
したが図書館の開館前にポストに返してこようっと。)

それでもこの作品に出会えて良かったです。
読書の本当の楽しさ素晴らしさを久々に思い出させてくれた。

あとそうそう、最後にこの本を読み終えた時、涙していたのを付け加え
ておきます。
何故か? それはこの本を読んだ上で想像してみてください。

2007/12/08

「グリーン・レクイエム/緑幻想」by 新井素子

つい先日、ついに創元SF文庫から出た「グリーン・レクイエム/緑幻想」
を読みました。

創元といえば私にとっては早川と並んで、たぶん読書歴の大半がこの2社
であろうし、何よりも特別なもの。
特に好きな作家であり、その著作(特に長編)をほとんど読んでいる、ア
ガサ・クリスティ、イアン・フレミング、レイモンド・チャンドラー、
そしてロジャー・ゼラズニィ。
(まぁゼラズニィの場合はこれにソノラマを加えなければならないが)
ほとんどの作品は早川/創元だからなぁ。
今の私は早川と創元に育てられたと言っても過言ではない。(言い過ぎ?)

そんな中、やはり好きな作家である新井素子は、「…絶句」で早川デビュー
はしたものの(それが出ると知った時、思わず本屋で大喜びしてしまいま
した(笑))、創元だけは…だったのですが、既発表作品とはいえようや
くデビューを果たしてくれました。もうそれだけで嬉しい。

で、この「グリーン・レクイエム」とその続編「緑幻想」が初めて一冊に
収まったというこの作品。
「グリーン・レクイエム」は奇想天外ハードカバー・講談社の文庫とハー
ドカバー・そしてやはり今年になって出た出版芸術社の作品集の中の一編
に続き計5冊目、「緑幻想」は講談社のハードカバーと文庫に続き計3冊
目の所有となります。(笑)
まぁ知る人ぞ知る話でそのすべての「あとがき」が違うのでそれだけで集
めている人が多いというのも事実。
(たしか「ひとめあなたに…」だったかな?は、版を重ねて表紙イラスト
が変わった際に「あとがき」も変わっていた…ような気もする。(笑))

さあて、本編にまだひと言も触れていないぞ。(笑)



というわけで本編の感想。
まずは「グリーン・レクイエム」
(前述のように過大なフィルターは入っているのですが)この作品は
何度読んでも同じ気持ちにさせてくれる。
まぁ厳密にいえば最初に読んでからラジオドラマの際に羽田健太郎がこの
作品のテーマ曲を作り、今関あきよしが鳥居かほり主演で映画を作ったの
で、そこからの追加はあったものの、羽田健太郎が鬼籍に入り、今関あき
よしが別のところに入ったくらい時の経った今でも、不思議と登場人物と
の年齢がどんどんかけ離れていった今でも登場人物たちに対する感情やイ
メージが変わらないんだよなぁ。
特に自分と年齢の近いところで出会った作品は、どうしても時を経つに
つれて「その作品を読んでいた頃の自分」を俯瞰で見ながらになってし
まうにも関わらず。(この作品に対してはそれが無い。)

単に(この作品に対しては)今でも成長していないだけなのかもしれない
が。(あ、そういえば「夏への扉」もそんな感じだわな。)

それに対してその続編である「緑幻想」。
こちらのほうは思い切り俯瞰になっている。
それはもしかしたら作者である新井素子自身が、この作品を書いた時点で
登場人物たちに対して俯瞰で眺めるような年齢になってから書いたせいが
あるのかもしない。
あとは、「グリーン…」のほうが登場人物たちが能動的に話を動かして
いるような作品であったのに対し、この「緑幻想」の登場人物たちは
「動かされている」からなのかもしれない。
それがもたらす結末(真相)は、トリッキーであるにも関わらず他にも
似たような印象の作品が存在するからかもしれない。(そういうものを
知ってから読んだ作品であるからかもしれない。)

どちらも、実は「ある情景」を書きたいが故に作り出されたであろう
作品にも関わらず、そのことに対してかたやいまだに純粋なまま接し、
かたやいろいろなものが付加されての接し方になるというのも面白い
ものだな。
どちらの「ある情景」も、私にとっては好きである事に変わりはないのに。





さあて、自分でも何を言いたいのか分からなくなってしまったので、
ここらへんで書き逃げさせていただきます。(笑)

2007/12/02

『椿三十郎』(2007)

森田芳光によるリメイク版『椿三十郎』を観ました。
(2007/12/01 at TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン7)


黒澤明によるオリジナルを観たのは、既に何十回の領域に入っているだろうなぁ。
一時期に集中して何度も観ているようなことは無いけれど、『用心棒』などとはうって変わっての力の抜けた軽快なテンポの作品は大好きな黒澤作品の中でも常に上位にいる作品でした。

その作品のリメイク、黒澤作品の正規リメイクとしては、私にとっては『ラストマンスタンディング』以来の作品となるこの作品に対して森田芳光がどうアプローチするのか?
本当に楽しみにしていました。

(以降ネタバレあり)



















ううむ。今回は悪い方の森田が出てしまったという感じか。
オリジナル脚本を使うという選択肢は間違っていなかったと思うが、技巧というかアイデアに走ったのが裏目に出てしまったような気がしました。
アイデアのひとつひとつは良かったと思う。
しかしながら、オリジナルとは違うテイストを出そうとした部分が、この作品の持ち味である軽快さをことごとく潰してしまっている感がある。
というよりは、オリジナルの持つリズムを身体が覚えていてそれに対する違和感が作品を鑑賞する妨げになってしまった部分もあるのか。

映画も芝居と同じで、同じシナリオを使ってのリメイクというのは私は何度でもあって良いと思う。むしろもっとあるべきだとも思う。
安易な続編を作って物語を壊してしまうよりはよっぽど良い。
ただまぁ実際には映画そのものがそれなりの資金が必要なものであるからそう安易に出来ないのが実情だと思っている…。

と、この話を始めるとまた長くなるは本筋から外れるわになってしまうのでおいといて…。

まぁ結果論になってしまうが、今回はちょっと力入り過ぎだったのが一番まずかったかな。特にこの作品の持ち味はその軽快さにあるのに、音楽にしても演出にしても、それを殺してしまっている感が強い。
キャスティングにしても、観るまでは割と良いかなと思っていたが、そのキャストを使った意味が薄れてしまうような演出になってしまっている。
一番気になったのは若侍たち。
オリジナルの加山雄三や田中邦衛などが決してうまいとはいえないが、使う言葉に対しての意味はまだ咀嚼しているように思う。
奥方様と千鳥も、オリジナルのその部分を残したのかという感じで、それが中村玉緒と鈴木杏には合っていなかったような気がする。
大目付たちも、ちと演技過剰気味。
三十郎の織田裕二は、オリジナルから離れた殺陣は非常に良かったものの、それ以外の部分がオリジナルと同じであるが故に三船敏郎の影がどうしても見えてしまうのがマイナスになってしまった。
何せあの三船敏郎のしかも当て書きキャラクタ。これはちょっと分が悪かったか。
その中で、力が抜けていて唯一良い感じだったのが豊川悦司。
仲代室戸とは良い意味でキャラが被らなかったのも逆に良かったか。

これらすべて、もう少し力が抜けて作られていれば良い作品になっていたと思えるのがとても残念。
まぁプロデューサーが昔の角川春樹ではなく、今の角川春樹であるという時点でそれは難しいのかなぁ。


あと、実際に観るまですっかり失念していたが、今回オリジナルに対して一番不利に働いたのは色がついている事と、(THX認定スクリーンでみたせいもあって特に)すべてがはっきり映りすぎてしまう事。
一度に目に入る情報量が圧倒的に違うので、それだけで実はリズムが違う。
軽快感を出すためにはより軽いシンプルな映像の方が良い。
そういう意味でモノクロオリジナルで軽快な『椿三十郎』に対するリメイクとして、特に説明過多な演出アプローチは実は向かない。
黒澤の看板を背負っているだけで重くなっているのに、気負いすぎて、しかもという状態で結果を残すのはちょっとハードルが高すぎたように思う。


などといろいろ書いてはいるがそれでも楽しめたし、良かったところもあった。
少し前にも触れたがオリジナルとは異なっている殺陣全般。
戦術的に正しい方法をきれいに実践していたし、ここを小気味よく丹念に見せたのも正解。唯一ラストの駄目押しに関してはやり過ぎだと思ったがそれ以外は良かった。ここは前述の情報量の多さがまた良い方に作用していた。
そして、これはオリジナルと同じ構図だ!と思える部分。
思わず(本来ならそういうシーンでないのに)うるっときてしまいました。
相反することに思えるかもしれないが、このふたつのブレンド具合でもっと面白いものになり得たのにというのがみえるのがとても残念だ。


ただ、このチャレンジは評価に値すると思う。
テレビドラマだったが、少し前に放映されたリメイク版『天国と地獄』は本当にひどかった。小手先だけで何とかしようとしているのが見え見えで、さらにオリジナルへの愛情は欠片も観る事が出来なかった。
こんな演出をした監督は二度と監督などしてほしくないと心の底から強く願った。
そういうものと比較してしまうのは何だが、黒澤三船に真っ向勝負を挑んだキャストスタッフは凄いと思う。
できれば、納得がいくものが出来るまで、このキャストスタッフそのままで何度でもチャレンジしてほしいくらいである。
それくらいアイデアはあると思えた。

まぁ芝居で言えば再演希望という奴ですな。


あと、最後に周りのお客さんたちの反応はけっこう良かった事を付け加えておきます。
特に笑える部分は敏感に反応していたし、同じ列にいた子供の反応はなかでも特に良かった。その子がまた帰り際に「面白かったね」なんて感じで親と話していたし。
鑑賞前にお年を召した方が、「中村珠緒と藤田まこと以外誰も知らないなぁ」などとその奥さんとパンフを見ながら話していたのも印象的でした。