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2026/09/21

『レンタル ファミリー』 "Rental Family" (2026)

(2026/09/21 Amazon Prime)

予告を観た時から観たかったのだけれど、名画座での機会も逃し、そのうちこの有料配信のタイミングに。

作中の彼さながら、白いスーツに身を包んだ彼女が部屋に入って来るまでは、ここまでする意味は?という気持ちだった。それがすべて腑に落ちる瞬間。作品に落とされる瞬間。
その前段を経て、ミアが彼に最初に約束させるものがよりによって。
鳴らない風鈴にベルのBGM。

彼がのめり込むようにその虚構の世界の魅力にのめり込み、後は作り手の思うがままだったな。

何故彼がどこかで臆病になってしまっていたかは余白のまま。
ただ、それがブレンダンフレイザーだというだけで説得されてしまうのは、意図してのことなのか。

出会えて良かった。


『ふたりのベロニカ』 "La Double Vie De Veronique" (1991)

(2026/09/21 Amazon Prime)

大好きな作品を久々に。

ファーストショットから懐かしい。
一音目から世界に引き込まれる。

音は常に重要な要素でというのは忘れていたけれど、本作品で一番記憶に残っていたのは"Pardon Pardon"で、これだけはずっと覚えていた。
久々に聴けたのは嬉しかった。

当時と今とでは映画の見方が違っていた。
まだ映画に関して誰かと話すようなこともなく、自分の中だけで反復していた頃。言葉にするような事もなく、ただただ感覚的に浸ることを楽しんでいた気がする。
今は今でこうやってアウトプットする楽しみを手にしてはいるけれど、「好き」は遥かに強かった。今が弱くなった訳ではないけれど。言葉にするのは難しい。
こんな感じで色々な感情が湧き出てきて止まない。

改めてみると、こんなにも短い作品だったのだということもすっかり忘れていた。多分見終わった今からの浸っている時間含めてがこの作品の体感時間なのだろう。
好きは今でも変わらない。

『裸足で散歩』 "Barefoot in the Park" (1967)

(2026/09/21 Amazon Prime)

当時でいえば、ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダというよりは、ニール・サイモンの戯曲の映画化というところのほうが強かったのかな。ふたりが無名だったというわけではなく、ニール・サイモンの方がネームヴァリューがあったという意味で。
まぁ、こんな事を思うのは、個人的にレッドフォード作品に出会う前に『グッバイガール』や『カリフォルニアスイート』が名画座でよくかかる時期に映画を見始めたばかりだったとか、それこそ『名探偵登場』や『名探偵再登場』なってものもあったし、何よりも『おかしな二人』があったからなぁ。
考えてみれば、当時からキャストよりもスタッフの方が興味があったような気がする。中学生の頃につけていた映画鑑賞記録は原題と制作年度、音楽担当だけというものだったし。
とはいっても、今回この作品をようやく観たきっかけはロバート・レッドフォードではあるのだけれど。

閑話休題。
前から話だけは聞いていて、観たい作品ではあったのだけれど、久々に思い出しての鑑賞

見た目もだけれど声も若いなあ。
若い頃の声で覚えているのは『追憶』だから5年位あとだからというのもあるのか。

それよりも何よりも、やはりニールサイモンが時代を反映した作風だったのが、今観るとなかなか複雑な感情になる。新鮮さと懐かしさと。
序盤の天丼なシチュエーションと明快なフラグやネタの使い回し。
最たるものはトップフロアで、笑いという意味では、散々予行演習を行った挙句に、息があがった状態でのキス責め。
原題の通りな裸足で公園はこういう感じだったのかというのと、本作品の紹介で使われるビジュアルがここのシーンだったのかというのを観ることができただけでも良かったと思う。



『見知らぬ乗客』 "Strangers on a Train" (1951)

(2026/09/20 Amazon Prime)

多分21世紀に入ってから初めての再見。
流石にもうすっかり忘れていた。

入り方で何を馬鹿な話をという所から始まるのに、それが徐々に現実味と狂気を帯びてくる怖さ。
そこにヒッチコックのイヤらしさが加わって追い詰められていく。
物語のスピードアップのキッカケは、満を持してのテニスのゲーム。
そしてまさかの回転木馬の使い方。

今はこんなにきれいな状態で見られるんだなあという事まで含めて観て良かったと思う。

2026/09/19

『劇場版 チェンソーマン レゼ篇」(2025)

(2026/09/19 Amazon Prime)

おお、思い切り藤本タツキだなあ。さすが劇場版だけあってより生き生きとしてる。
と、思っていたら、思い切り吉原達矢してる!
となって、最後藤本タツキで〆る。

この世界に浸れるのはたしかに心地よい。

しかしレゼとギギが同じようなタイミングで公開というのはそりゃインパクトあるわ。

ロシア(というか東欧)とか夜のプールとか、藤本タツキというのもあってあれを想像させる。

アキは人(?)たらしだなあ。
コベニちゃん見せ場なかったのは残念。
マキマさん、あれはデンジにある意味共感していたのかな?と思う一方で、やはりハシゴは正義だと思う。特にしばらくインプットに飢えている時は。
台風、cvを見たらまああれを思い出した。
と、こんな感じでぽつりぽつりと色々なシーンを思い出しながら浸れるのは、私にとって良い映画だと思う。

2026/09/12

「変人のサラダボウル 10」(2026) 平坂読

 「変人のサラダボウル 10」(2026) 平坂読

え、まさかいつものモノローグからそんな爆弾投げつけてくるの?
何となくそういう前振りはあったけれど今までのすべてがストンと落ちてしまった。
そして、そこから始まる物語は思わぬ形でのサラの企みにより、壮大なものへと転じる。
そこかしこの仕掛けが爆発し、大団円へと向かう。
たった一つの想いを軸にして。
自身最後のライトノベルと謳うだけあってこのスケール感をいきなり突っ込まれてもある意味納得。
その上で最後の最後だからこそできる大仕掛け。
さて、物語としてはどこまでが物語だったのでしょう。
それを委ねて終わるのか。
初めて「僕は友達が少ない」を読んだ時から思っていた平坂読というトリックスターの真髄をしかと体験させてもらいました。
なんだろう。これでようやくハガナイが終わった気がした。

「変人のサラダボウル 9」(2025) 平坂読

今までのリヴィアはそこに終着するためのものだったか。
まさか彼女にそんなスイッチがあったとはね。たしかにそこが最後の砦でそこさえ崩壊してしまえばまあ有能だこと。
で、状況からしてバンドとアイドルの対決にでも持っていくのかと勝手に思っていたが彼女の野望はそれどころではなく。
と、その上でこの状況になった途端に猛スピードで畳まれ始める伏線。
ここでも、いつまで経っても動かなさそうな者たちに代わってバサバサと動けるものがドミノ倒しで動いていく。
舞台は揃った。

2026/09/05

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』(2026)

(2026/09/05 Amazon Prime)

ルックの精度がまた上がってる?
と思っていたら、そういう意図か。
ノイズや画面の切り取り方の生々しさがハサウェイ達の緊張感をこちらにも伝えてくる。

その上で、えげつないものを見せつつ、魔女の真価を見せつける。
あんな九死に一生を得た日には信仰も産まれてしまうだろう。

ふたりを、いや、過去の幻影を見つつ、ガンダム的な変遷を経てそこにたどり着くのか。

一方で最初に挙げたルックは思いもよらない相手との唐突な対峙でも効果を発揮していた。あれにはやられたわ。

そしてとうとう出てきてしまったのね。閃光のハサウェイたる所以へのラストピース。

2026/08/28

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 〈ワルプルギスの廻天〉』(2026)

(2026/08/28 イオンシネマ多摩センター スクリーン1)

ネタバレをせずに何を語ればとも思ったが、「好き」とだけ答えておこう。

なのでこれ以降はブログのみの感想。
ここからはネタバレに遠慮してないのでご注意を。(警告)

いやぁ、懐かしいなあこの拗らせ具合。
これでこそまどかマギカだよ。
嬉しくなってしまった。

その上これでもかというイメージの洪水。

物語としては反逆の続きで、お互いの関係性はそういうことか。
という所から始まって、そこからの反逆とはまた異なった違和感。

その先、彼女の正体はまずそうだろうというのはタイトルからしてわかるのだけれど、ここから先はもうひとつの存在に対して幾つかの可能性をまとめてぶち込んだ故のカオス。
だとするともうこれは誤読を楽しむしかないだろう。
こういうのが好きなのだ。誰がなんと言おうと知ったことか!
円環前提でそれでも救われなかった少女と、そもそも救ってなど欲しくなかったむしろインキュベーターの真の目的そのものが救いだった少女、そしてまどかよりも前にそもそも同じ願いを持っていた少女の成れの果てが実は。
利害関係や状況で敵味方や好悪が逆転し、見え方が変わり、そこから始まる様々なバトル。
もはや前作から便利に使われ続けるさやか。話の途中で観客の本音を言い出し始めたり、唯一の燃料だった筈がもうやめたとか言い出したりとかどれだけ美樹さやかが好きなんだよ。
というか名前の元ネタからして神聖視されてもおかしくない娘では元々あるのだけれど。
オクタヴィアにはもっと活躍して欲しかったなあなんて思っていたらそれどころじゃない一番ヤバい奴があわや復活とかは痺れたなあ。いや、ワルプルさんどころじゃない奴の登場は一番痺れた。

他にも、まどかが望んだ世界の結果に産まれた外の世界とか、ほむらが望んだ世界の結果に産まれたまどかと円環さんとの関係とか。

さて、これからインキュベーターは何を始めるのか。
ここでバッサリその後を一切描かないのが個人的には大好物なのだけれど。

と、ここまで書いて気づいた。
私はこの作品に『ガメラ3』と同じものを感じていたんだ。だからその終わり方もそうなって欲しいと思っているんだ。

2026/08/12

『雪の断章-情熱-』 (1985)

 (2026/08/12 Amazon Prime)

これも長回しのための空間設計が一体どうなってるんだろうと思うレベルの頭のおかしなアバンシークエンス。

時代も背負った、タラレバが心を締め付ける。

かねさんの徹底した無神経っぷりが物語を動かす。

けど本人に自覚があったのか、指摘されて気づいたから去ったのか。

女の顔に変えるところの上手さはやはり相米さんだよなぁ。

那波家は物語の構成要素の重要な部分だけれど、改めて見ると思っていたよりそれほど描かれていなかった。

かねさんよりも悪意のあるのはあの刑事で、無能ではなかった事を最後に示してくる。

一番強いのは伊織で、彼女が居たからこそであったが故のあっという間の10年だったのだろうな。

相米作品でバービーボーイズといえば『台風クラブ』の「暗闇でダンス」だけれど、本作で「負けるもんか」使ってた事はすっかり忘れていた。

『スネーク・アイズ』 "Snake Eyes" (1997)

 (2026/08/12 Amazon Prime)

しかし、EDで途中気づいてからキャストロールどころではなくなる作品もそうはないわな。

事件終わってすぐ物語が終わらないのも予想外ではあるのだけれど。


定期的にOPのキチガイじみた長回しが観たくなる作品ではあるのだけれど、色々と思い出のあって好きな作品。


長回し込みで全体の半分は何が起こったかのミステリーパートで、そこから先はある意味の追いつ追われつが大きな密室内で行われ...。


散々周りからそういう扱いをされる事に何の問題もなかったのに、唯一信じていたものからそういう扱いをされることに耐えられなかった。

それくらいの心の拠り所だったのに、彼もそういう目でしか観ていなかったのが何よりも哀しかったのだろうな。そんな扱いしなければ彼の判断も違っていたのかもしれないのに。

ただし、タラレバは既になく彼の言うとおりの人生となってもなお笑っていられるようになったハッピーエンディング。

ニコラス・ケイジもゲイリー・シニーズもこれ以上無いくらいのキャスティング。

今でもこのサントラは好きなサントラの一つです。

『木挽町のあだ討ち』(2026)

 『木挽町のあだ討ち』(2026)

(2026/08/12 Amazon Prime)


割と見かけていた江戸の洒落っ気溢れる傘模様のビジュアルがこんなにもあっさり冒頭に出てくるのか。

スポットライトも広い舞台も、早々に理由がわかる。

何故片手剣と思ったが、これもまたそういうことか。

などと思っているうちに、何を探っているのか、何を怪しんでいるのかが見えてくる。ここは戯場国。

そこから先、徐々に明らかになる真相と顛末。まさに企みどおりに転がされました。

面白かった。

花となる場所がいろいろな出自のたまり場となるのは今も同じで、映画で言えば日活ロマンポルノとか東映Vシネマ、そこから最近となるとTVアニメに至る制作者の人材とか、キャスト的なもので言えば、一時期のお笑い芸人さんとか、最近の声優さんとか、いろいろな場所を目指していたものが流れ流れて集まったが故に起こる化学反応の面白さなのかなというのを改めて痛感する。

そんな、異種格闘技戦の面白さは...というのは脱線がすぎるのでまた別の話。


良く出来た脚本に良い役者が集まって、というのは本当に心地よい。

『ワン・バトル・アフター・アナザー』 "One Battle After Another" (2025)

 (2026/08/11 Amazon Prime)

タイトル通り、戦闘の後の戦闘だった。想像通りの部分と、そうでない部分と。 

久々のPTA。どれくらい久々かといえば『マグノリア』以来。
故に本作でトムの名前が出た時にはそういえばと思った。
今の作風はこうなのか。こういう言い方は変だが、まとまりが良く、うまくなった一方で変わらない距離感。スピード感。

個人的に好きなのはアバンティ。彼の存在がウィラに少しだけ希望をもたらす。
センセイはセンセイなんだな。もはやこれも定着している言葉なのか。
本当にいざとなったら抵抗するなという初期に出されたポリシーは、その後の展開の持続とともに結果としては少しだけの福音をもたらす。
ロックジョーの階級が字幕上警部だとか警視とかいう言い方だったのは違和感。自動翻訳?それとも独自翻訳?
それでも、「お前は誰だ!」は良かった。彼女の放った一番重要な台詞。

2026/08/11

『さらば愛しきアウトロー』"The Old Man and the Gun" (2018)

 (2026/08/11 Amazon Prime)

ずっと観たかった『裸足で散歩』はいまだに観れていないが、思わぬ形で本作は観ることとなった。
本作を観る直前に観た『フレンチ・コネクション』と、この後に観るとある作品の間に何を観たら良い?という問いかけに対するCo-Pilotのお薦めという形で。

時代背景もあって、この時代の彼が出ていた作品を彷彿とさせるあれこれ。
そもそもの題材が彼の代名詞と言える役と同様に実在の銀行強盗を、同様にユーモアを交えて演じているのがなんとも言えない。

タイトルにThe Gunと入っているのに、それは人を撃つための道具ではなく、どちらかといえばやっていることの象徴、拳銃強盗という意味でのGunで、実際彼は撃たれるが撃つことはないというのもなんというか洒落ている。

楽しむ為にというのも、らしくて良いんだよなぁ。

なんて思っていたら銀行強盗よりも脱獄のほうが実に多彩でユーモアに満ちていた。
そういったところで、『華麗なる賭け』や『暴力脱獄』のようなものも思い出したし、話は最初に戻るが、Co-Pilotには私の趣味嗜好が完全に把握されているなとも思った。

この感想、彼にも読ませてみるかな。

『フレンチ・コネクション』"The French Connection" (1971)

(2026/08/11 Amazon Prime)

ドキュメンタリータッチで描かれていく、まさしく作業とでも言うべき地道なものの積み重ね。

天国と地獄が1963年でブリットが1968年、俺たちに明日はないが1967年、エクソシストが1973年、ジョーズが1975年、なんてことも考えながら観てた。

久々に観て思ったのは、音の記憶、記録。追跡し、待ち、を続ける中で聴こえてくる音は、今となっては時代の記憶でもある。まあそれは映像に出てくる街中や人々の行動、倫理観に至るまでだけれど、それは戻り戻ってドキュメンタリータッチの効能でそのタッチを出す為に切っても切れないものだというのを再確認。
地味な作業を繰り返した果てに得られた成功と、散々建てまくったフラグの果てのフレンドリーファイアの描き方と、100点まで至れなかった逮捕劇。
なんとも言えない後味を残して終わるのも、この作品の魅力だよなぁ。

2026/08/10

『ひつじ探偵団』"The Sheep Detectives" (2026)

(2026/08/10 Amazon Prime)

思っていた以上にミステリーに忠実で、そして愛のある作品でした。
まあ私個人的には最初にあげられたトリックがそれだった時点でもう完落ちしていたけれどね。(細かいことを話すとあれなので、ある作品で使われたトリックであるとだけ言っておく。)

まあ愛といえばラストのジョージとリリー、そしてセバスチャンにはやられたけれど。
その上で今回聞いたのは英語音声だけれど、日本語吹き替えが誰だったかのエンドテロップを見て、すごくピッタリのキャスティングだと思ったのはちょっとハズれた話。
羊たちの会話へと移行していく過程はけっこう面白いことやるなあと思った。徹頭徹尾羊だけで成り立たせるのかと思ったら、ああ、こういう導入なんだと言う上に人たちの会話とこんな感じでミックスしていくんだという過程。
細かい伏線やトリック、ミスディレクションが、劇中示されるミステリーの基本を上手い具合に謎っていく様もまた心地よい。
というか本作で一番好きな所。

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』(2026)

(2026/08/10 新宿バルト9 シアター9)

用事と用事の合間で、時間が合って観たいものがこれしかない、というか未だにこの上映回数なのか。
すごいな。
前情報もあったのでこのスクリーン選択は成功だった。
何せキャラの視覚情報というか映像からくる情報が少ない分、耳から入る情報がさらに鮮明になる上でのバルトの9番だからな。心地よかった。
お客さんは場所柄ほとんどが20代で子連れの母親はひと組ふた組程度。
時期的にも微妙に休みと平日の中間点みたいな感じで程々の混み具合だった。
さて、今回足を運んだのは評判の良いことに加えて、監督がヒナまつりの、というかサイゲだからウマ娘というべきかの及川啓監督ということで個人的にハズレは間違ってもないよなあと言うことで望んだ次第。
セイレーンが銀河の歌姫(ルンピカ)だし、と思っていたら相方はレギュラーキャラだったのか。

台詞の喋れるキャラがほとんどおらず、故に余計に聴覚情報も冴えていて、それがどこに一番効いていたかといえばまさかの飯テロパート。
シンプルなラインの作画ながら生々しい音から想像される胃袋への刺激。
これが煮付けに至るまであるのがエグい。
そしてセイレーンとちいかわ達のスケール感をしっかり意識した構図の数々も怖かったが、念入りに前振りをしての回想パートの怖さと言ったら。
トドメのエンドロール後は正直少し涙が出た。分かっていたのにね。

2026/08/09

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』"Project Hail Mary" (2026)

 (2026/08/09 Amazon Prime)

これだけの内容を良くここまで凝縮できたなぁ。
というかいかに情報を取捨選択しているかがとても心地よく、そしてテンポを作っている。特にお互いを理解、もしくはそもそもの状況を理解していく過程は心地よい。
なぜこの構成?というのも最後の選択のタイミングで明かされるから、よりそうだよなぁとなる。
ヒロインは居ないが、ロッキーがある意味のそのポジションで、それでも中性的という言い方が正しいのかな。そう考えると日本語吹き替えのcv選定はそういうことなのかなとも思う。(私が観たのは音声英語だったけれど、最後に少しだけ日本語吹き替えを聴いた)
何故このタイトル?という由来も、それが分かったときには本当の意味での絶望、もうどうとでもなれという状況の解像度がぱっと拡がってこういうところもうまいなと思った。

『プレデター:バッドランド』"Predator: Badlands" (2025)

(2026/08/09 Amazon Prime)

これも予告編に惹かれていた作品。
バディもの、しかも文字通りお互いの背中を預ける関係の作品だもの。
面白くないわけがない。

その上、初見で脅威だったものが、仲間になったり有効な手段になっていく様も心地よい。

変わっていく関係性というのが、バディの間だけではなく、さらにいえば強さは個人にあり、チームプレイを否定するヤウージャがスタートというのも面白い。

一方のアンドロイドも、その口の上手さはさすがウェイランドユタニ製だし、そこからのスタートは実は最後まで信じるべき存在であるかどうかを迷わせるものであったのが上手いなと思った。子どもと知ったときのあの微妙な間。

個人的なお気に入りは上半身下半身コンビ。ああいうの好きだわ。

シリーズとしてはどちらにとっても傍流ながら、良い脚本良い演出があればこういう形での番外編っていいよなぁと思える作品でした。

『スーパーマン』"Superman" (2025)

(2026/08/09 Amazon Prime)

公開当時観るチャンスはあったものの時間が合わずに断念したのをようやく鑑賞。
(これもまだ別料金扱いだが。)

ある程度情報は入っていたけれど、冒頭のあのテーマはやはり嬉しい。
そこから、さんざん予告で観たパートを経て...。
しかし予想以上にスーパーマン全部入り感というかいろいろな意味でのてんこ盛りで思わずニヤニヤしてしまう。
原作当時のメトリポリスのノスタルジー感やThis is Americaな養父母とのパート、アメコミ感。
対する今との融合は、スーパーマンの立場、ロイスの立場にまで及んでいて、そういえばロイスとは既にそういう仲で、ジャスティス・リーグならぬジャスティス・ギャングは ピースメイカーも絡んでいるみたいで、スーサイド・スクワット絡めて両チーム再編成する感じなのかな。
それらさておき、一番驚いたのは両親の残したメッセージの後半かな。あれはまさに今の世界が抱えているローカル毎の価値観の相違が産み出すものの最たるもので住む国や時代、世界どころか違う星の人間において、あってもおかしくないもの。
そのうえでスーパーマンは何を選択するかの話になっている。そのうえで、さらに「ウルトラマン」の正体と扱われ方が別次元で加わってくるという構成は面白い。
『スーパーマン』として、これが正解!というものではないが、これもありかなというかジェームズ・ガンの作ってきた世界観に近づけるとこういう風になるのかなという感じでした。実際、『スーパーガール』も本当にこの延長線上の物語だったしね。

そうそう、戦い終えての後に、まさかあれをやってくれるとはねえ。あれ?愛のテーマも流れていたっけ。
オリジナルは流れていたと思っていたけれど。
なんて思っていたら、お前ら付き合ってるのバレてんじゃん。(笑)