2016/02/21

演劇ユニット金の蜥蜴第十一回公演「月花抄—光源氏の章—」

演劇ユニット金の蜥蜴第十一回公演「月花抄—光源氏の章—」(2016/2/21昼の回)を鑑賞。(築地本願寺ブディストホール)

能のお題と舞を小劇場の芝居に取りこんでのこのユニットの公演も11回目。
うち9回見てきたことになるのだが、そういう目で観て「源氏物語」という題材は異質なものなんだなという認識を新たにしました。

異質、もしくは特別。

ううん、もしくは時代を間違えて生まれてきてしまったものというか、最古のものとして遺った物語だけはあるというか。

ある意味、これが華があるというものなんだな。


さて。

前半はかなり詰まっていたのだけれど、それを淀みなくテンポ良く。
そして最後にじっくりと。
意味深なフェードアウトも多く、どれも効果的でこれも良いテンポで。

それがまたとてもらしくて。

ひたすら詰まったものだったというのもあって、ちょっと台詞トチリは多めだったとは思うけれど、それでもこの密度だもの。満足させていただきました。
まあ台詞回しの圧巻は最後アクシデントがあったにも関わらず淀みなく最後まで進めたところとなってしまったのは良かったのかというのはあるけれど。



全体的に観て女性視点なんだなとも思った。
女性陣だけではなく光源氏も頭の中将、帝に至るまで、女性の思い描くものなのだろうなと強く感じた。
ここらへんは違和感というよりはとてもユニークに思えた。
原作が故というのもたぶんにあるのだろうな。


舞台装置も良かった。
音の配置で面白いこともやっていたな。

音楽の付け方も「ああ、これが正しいんだな」と思った。
まあひたすらな会話劇というのもあるかもしれないが、これは音楽の少なさが心地よい。
映像作品でもこういった作品は音楽少なめのほうが映えるんだよなあというのは閑話休題。


そしてそんな中で始まる能の自然さ。

会話自体もある意味短歌で存在する物を現代語訳したかのようなはまり具合の中での能なので違和感も無い。


で、光源氏や取り巻く人たちなのだが、ある意味感情移入をさせないというか拒んでいる感じなのが良いな。

自分、そして各々の行動基準が違うことに対して、今に寄せたり理屈をつけたりせずにただそこにある感じなのは、ある意味時代に囚われていない能などの伝承によるものが多いのか。


それでいてこれだけ人間臭いからこそ周りから観て魅力的にみえるのだろうなという肝の部分がしっかりできているからこそ面白かったのだろうな。


楽しませていただきました。