(2016/01/01 at 新宿ピカデリー シアター6)
すずの表情のひとつひとつの生々しさ。
どこか浮き世離れした夢見るようなその表情の合間に、ふと見せる笑顔の色っぽさ。もしくは女性らしさ。
浮き世離れしたエピソード、人さらいや座敷わらしは、それこそ普通に起こっていたこと。
昔、おおらかな時代に家の裏に鍵をかけることもなかった頃に、まるでそれが当たり前かのように入ってきて物を盗って出ていく人なんていうことがあったという話を私も祖母から聞いたことがある。
故に余計りんの話は身近に感じられ、エンドロール後のあれやあれは凄く身に染みる。
それこそ投下管制に使っていたであろうカーテンや近所とのやり取りに使っていたであろう装置なんかはまだ小さい頃は残っていて、防火用水用であったであろう石の水槽は金魚を飼うのに使っていた。
家の脇の山側に防空壕があったので、少々不自然な形で本来なら出窓でもおかしくない家の脇からもすぐに出られるような引き戸が存在していた。
そんな今まで判ってはいたけれど判っていなかった現実を、この作品が繋いでくれた。
裕福ではなかったから、普通にすいとんとか調味料以外おかずの無い食事なんてのも実は割りと多かった気がする。
それを家族全員で囲んでが日常の日々。
タラレバの瞬間は誰にでも訪れる。
それを巻き戻すことはできない。取り戻すことはできない。
しかし、ふとしとことから得られる幸福もある。
それを糧に生きていくことを歪んでいると笑わば笑え。
良い映画だった。
また観たくなる良い映画だった。
わたし、歪んでしまったのかな。
今までのすずを見ていただけに重い台詞だ。
そんなすずに対して世界は優しいわけでも厳しいわけでもなくただあり続ける。
すずはまだこの世界のどこかに生きている。
そんな映画でした。