2025/11/23

「流れよ我が涙、と警官は言った。」"Flow my tears, the policeman said" (1974) Philip K. Dick

マクベインの「クレアが死んでいる」を読んだ流れで、やはり当時よく読んでいた本作も久々に読み直し。
元々持っていたサンリオSF文庫版ではなくハヤカワ文庫SF版。
訳者が同じなのでたぶん訳も変わっていないとは思うが。
ディック作品の中でも一番好き好きな方の作品のひとつだったがそれを再認識。ほとんど忘れてはいたけれどね。
読み進めて行くうちに、ある意味これは映画『マトリクス』に通じるものがあるなあと思い至ったが、ディックの多くの作品に通じる部分でもあるので、本作に関わらずあの映画の根底はそうだったのかな今更ながら気づかされた。
本作でいうメスカリンのくだりあたり
また、本作終盤で本作のタイトルの由来となったダウランドの「流れよ我が涙」を本部長が聴く(聴こうとする)くだりがあるがそこでふと思いたってSpotifyで楽曲探して聴いてみたりもした。
スティング版も聴いたが、本作にはリュートの方が合うかな。
アリスはある意味あのアリスであったけれど、一方で3月ウサギでもあった。
などと色々枝葉はあれどやはり本作の真骨頂は導入だよなあ。
レトロ未来的なワクワクする世界観が提示された後、徐々に見えてくるディストピアな未来。
その中で足掻くことになる主人公という図式は前述の多くのディック作品に通じるもので好きな所である。
まあ彼らしさで言えば、と改めて考えると全編そうではあるのだけれど。
解説で大森望が書いている水鏡子によるスィックスについての指摘、今回ハヤカワ版を読んで初めて知った。言われてみればそうだし、だとすると本作における彼らに対する扱いも色々納得がいく。だからかれをそこまで長生きにしたのかというところも含めて。
さて、一番最後はネタバレに触れます。







この状況の原因が実は当事者(の知覚)ではなく、唐突に出てきた第3の登場人物によるものだというあたりの理不尽さもまた好きな所の一つ。巻き込まれた理由はちゃんとあるのだけれどね。
前述の水鏡子によるスィックスについての言及を読んで思ったが、Do Android dreams electric sheepの続編として本作と同作をセットで映画化しないかなあ。
ブレードランナーと繋ぐという歪ませ方も面白いかと思うけれど。
と、ここまで書いてかの2046でラスベガスが出てきたりとかは案外そこらへんかもとも思ったけれど、それは別作品由来かも。