「エンドレスエイト」
実に見事な原作もののアニメ化な脚本だったな。
原作をほぼそのままの言い回しでピックアップしてアニメ化してることが良く分かる。
それでいて多少意味は変わっていたりもするのだな。
時間という枠に収めるために。
この原作はアニメよりもむしろ文学的で…というかSF小説的でという言い方の方が良いのかな…という感じだったりする。
あと、アニメのほうがより「…消失」の為に作られているのをひしひしと感じさせてくれる。
そりゃそうだろう。長門だってうんざりするさ。
一方で原作のほうも長門が魔女化するに足る扱いを受けてはいる。
キョンの長門に対する扱いが軽いというか適当すぎる部分があるんだよな。
おまけ扱い的なぞんざいさ。アニメにはこの作品においてはそれがない。
まあキョンが長門を気遣ってやれるようになるのは「…消失」以降である。
それほどまでに原作キョンはハルヒラブだったりするのである。(もちろんいっさいそれらしい表現は意図的に避けている)
「射手座の日」
原作小説においては「涼宮ハルヒの消失」の一つ前のエピソードということになる。
そして、このエピソードの最後の行においてこれが語られたのが「…消失」を体験した後だということがわかる。
かといって表向きは予兆などないのだけれど。
さらにむしろそれを緩和する要因(読書以外の事に長門が興味を持つ、イコールストレスの緩和)を得たようにさえみえてしまうのだが、実際にはゲームを通じて「観察する以外の選択肢」にめざめてしまったのかもしれないな。
あと、この作品でのトピックは「一見普段と変わらないが怒りに満ちている長門」が初お目見えしているというところか。
アニメにおいても見せ場である「許可を」は原作でも一番の見せ場である。
まあ二番めはコンビ研に誘われた長門がキョンに対して見せる表情で、三番目がハルヒのドロップキックか。
どれも映像化される際には観たいところであり、無論それらはすべてアニメ化の際の見せ場となっていることは言うまでもない。
「雪山症候群」
これは未映像化な作品。
時系列的に言えば「涼宮ハルヒの消失」の後に「ひとめぼれラバー」が来て、その次の作品に当たるのだが、「消失」後の方向性がはっきり示されてる作品である。
まあ何せキョンの長門に対する態度が変わったことにハルヒが気づくくらいだからなあ。
一方で夏休みの「孤島症候群」の冬休み版という面もタイトルからしてあからさまではある。
けどそこには当然罠があって…というのが正統派な楽しみ方だ。
で、映像化された際のお楽しみは間違いなくあそこだろうな。どのような形にするのか、誰得な部分もしっかり映像化するのかがニヤニヤしどころでしょう。