「少年の名はジルベール」(2016)竹宮惠子
ふとしたきっかけで彼女の「ロンド・カプリチオーソ」の事を思い出し、そこから何気なくその作品の事を調べていたらこの作品に辿り着いた。
漫画ではなく文章で綴られている。
「風と木の詩」が世に出るまでの話。
と言ってしまえばあまりにも素っ気ないが、萩尾望都らと共に過ごしていた大泉サロンの頃の話からそれに端を発するスランプの話と言った大きな話よりも、その間自らの作品をどう思い、文字通りどうやって作品と向き合い作っていったかと言う事がとても興味深かった。
文字通り少女漫画を切り拓いていった人がその事をどう感じていたか。
ずっと一人で作品を作り続けていたのかと思っていたが、それは近くにそんな人がいたから出来たことなんだといった事。
「風と木の詩」自体はかなり初期からその構想ができていたにも関わらずそれを世に出すまでこんなにも長い道のりが必要だったこと。それがまた最終的に作品の血肉にもなっていった事。
そして竹宮惠子にとって萩尾望都という存在が何であったかと言う事を彼女視点で知ることが出来たのはとても良かった。
一番近いのは手塚治虫視点で見た石ノ森章太郎かなとも思ったが二人共また性格が違うので感じ方はまた違ったろうな。
漫画家である彼女とパートナーとの物事の捉え方の違いも面白かったな。
たしかに同じ物を見てもここまで興味の対象が違うと言う事を明確に書かれているのが面白い。
自分自身が感じていてもそれを文章で的確に表現されているのを読むのは初めてだった。
個人的にはその結果としての作品よりも如何にしてそれを表現しているかと言う事に上手さを感じるタイプなので同じように周りとのズレを感じている人がそれをどう受け止めているかを知ることが出来たのは良かった。
自分の思っている事、主張したいことを上手く表現出来るようになる為に自分一人では何も出来ず、人の縁でようやく得ることが出来たと言う事を言えるのは凄いと思う。ましてやそれが彼女だからな。
萩尾望都の視点でこういったものを読んでみたいな。
ただしそれはより多くの人達がそれを辛いものと感じることになりそうな気もするが。