私が「サイボーグ009」に関して語り始めるとすれば、まずそれはどのような形で出会っているかというほぼ同年代であれば同様の話題から始めると思う。
一番初めに出会ったのは、やはり同年代であれば同じくテレビで放映され、その後何度も再放送をされていたモノクロの最初のテレビアニメ化の作品であったと思う。
もしくは劇場版である同じくモノクロのそれである。
但し、声やその他のイメージはむしろその後のカラー版の印象のほうが強いのも、前者がかろうじて引っかかる年代であったからといえよう。
しかしながらやはりいちばん好きなのは平成版と言われる原作をベースにした作品であり、この作品ではきちんとあのシーンがラストとして描かれる。
あれなくして「009」はあり得ないとなったのは、当然ながら原作となる漫画の方も読んでいるからである。
こちらの初見はたぶん映像作品から少し間をおいたもののカラー版アニメよりは前のことと思う。
ただその時の形態が、「町医者の待ち合わせロビー」での出来事であったのか「床屋で順番待ちをしていた時」であったのか、漫画好きの父親の蔵書の方に手を出したのが先か、夏休みに行った母親の実家で従兄弟の蔵書の中から見つけたのかはもう記憶の彼方である。
これもたぶん同年代なら多かった体験だと思う。(思い込みかも知れないが)
そんな、世代的には「ゴジラ」「仮面ライダー」「ウルトラマン」的なものと同格のものであった「サイボーグ009」であったが、たぶん購入となると一番初めに購入したのは「サンジェルマン伯爵」が最初に登場する作品が入ったものだから「時間漂流編」だったかな?
明らかに戦う相手の質が変わってからであったと思う。
無論その前に北欧古代神との戦いは読んでいる。(というか北欧神話は009で覚えた。(笑))
そんな感じで、もう何度も神々との闘いを始めては中断しを何度も見てきたこの「サイボーグ009」であるが、同じくライフワーク的に書かれていたものの絶筆で終わってしまった手塚治虫の「火の鳥」とは違ってこのように完結編として書かれることは嬉しい限りである。
「火の鳥」あと少しだったのになぁ。(「第二次大戦中」と「アトム世代」と「現代」だったよな…)っておっと脱線(^^;
最初の2編までは遺稿となる初稿をベースに、それ以降は膨大な構想メモと、そして息子小野寺丈のみに語られたその記憶をベースに書かれたのが本編である。
2006年にこのⅠ(First)が発行されたもののその後長らく沈黙が続いた後に昨年(2012年)ようやくⅡとⅢが刊行され、それに基づいて修正のなされたⅠが今回読んだ文庫版conclusion of GOD's WAR Ⅰである。
さて、これだけ書けばもう少しネタバレなことも書けるかな。
プロローグとなるこの石ノ森章太郎とギルモア博士との邂逅は、手塚治虫の作品でよく見かけた作者とキャラクターとの会話であったのは「ああやはりこれが一番しっくり来るのかな」と感じた。
そして続くイワンとギルモアの物語はこれから始まる事を予感させ、次の章、石ノ森章太郎が残したジェット・リンクの物語を経てようやく何をやろうとしているかを知る。
ああ、今度こそ本当に神々との戦いが始まるのだなと。(いや今までも戦っていたが)
これらを経て語られたフランソワーヌの物語は当然のごとく最初から役割を与えられているなと判るキャラクターが登場する。彼女はもう一度彼と彼女と対話するのであろう。
そして、原作中に何度も神々(もしくは天使)のモチーフとして登場した女神ニケの像がここで登場するのは嬉しい限りである。
と、ここまで来るとアルベルト・ハインリッヒの物語はほぼ決まったようなものである。
というよりは死神と仇名される彼にこれ以外の物語は考えられない。
と、ここでⅠ(First)の物語は終わりⅡへと続く。
本書の文末で、たぶんⅢで語られる島村ジョーの現状は大変なこととなっているらしい。
ⅡはたぶんジェロニモJrからピュンマまでの物語であろう。
作中で唯一外見さえ人間であることを止めてしまったピュンマはどのようにして登場するのであろう。
無論、場末の役者や、食べることさえままならなかった男、自分たちの誇りを捨てられない男の話も楽しみである。