2017/12/21

『スター・ウォーズ最後のジェダイ』"Star Wars The L ast Jedi"(2017)

『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』"Star Wars The Last Jedi"(2017)
(2017/12/20 at TOHOシネマズ日本橋スクリーン7)
今ならこんなことも出来るんだぜというショーケースから始まり、基本的には逃げ回るだけ。
なんでこいつら(特にポー)こんなに馬鹿なんだろう的な行動で味方を無駄死にさせまくり、これはこんなに頭悪い作品なのかと冒頭からがっかりしつつも絵だけ楽しむしかないかなと思っていたら徐々にその全貌が明らかになり、強引ではあるが結果論でそれらの選択肢の末に今回の脱出成功となったのは、ううむ、ありと言えばありか。
オリジナルである3部作に対し、プリークエルは原作者による自主制作映画という表現がピッタリの作品であったが、さながら今度の3部作に対しては、第三者による二次創作という表現がピッタリの作品かもしれない。
ホント色々なところから引用し手を変え品を変え突っ込んできたなと言う感じ。
今までの作品からは当然としてそれこそプリークエルが作られたことで死屍累々の山となった数多のスピンオフノベルやら関係する創作物が結果としてこの作品の血肉になっている。
単品の映画として見たらどうかと思うこの作品だが、二次創作という目で見れば楽しめる作品だった。
デル・トロは彼のポジションだったのかなとかこの作品を通じて過去の作品を振り替えれるのが二次創作の魅力。
in memories of なテロップは出てくるとは思ったがあそこだけレイアのテーマを流されたのはさすがに涙腺に来た。
ルークはやっぱりルークだったなと言うところと、そこで出て来る師匠に痺れた。
そしてオビ=ワンのようにあそこで皆を逃がすためにということをそのままやるのかと思ったらそこは変えてきたか。
夕陽を交えてその最後を語る辺り数々のシーンが思い出されてそれがまた来るものがあった。
レイアのあのシーンはどう見たら良いのかな。彼女とフォースの関係性が彼女にだけそういうものを与えたのか的なこと?
全体的に(師匠含めて)年寄り共がメインなんだなとは思ったが、今回でそれらすべてを次の世代に委ねるために必要な儀式であったと見ればよいのかな。
まさかスヌークまで切るとは思わなかったが。文字通り。
レジスタンス側も残りがファルコンに乗れるだけの人数になってしまったという悲壮感があったが、その芽はまだという終わり方であった。
対して帝国側は頭がまさに小物揃い。
元々の頭のスヌークもシスではない野生のフォース使いかシディアスがかけた保険もしくはクローンの失敗品のような雰囲気であったもののフォースがあったが故にあのポジションにいた感があったが、潜在能力としては格段のものを持っているにせよいつ寝首をかかれてもおかしくないぞ。
ましてやスヌークに散々小物扱いされていたのを部下たちは見て知っているであろうからな。
ああ、そうだ。R2は今回ルークと再会したところくらいだったな、見せ場は。寂しいものがある。
ほぼBBがその役割を担っていたからしょうがないのだろうが。
そうそう、単品映画としてはどうかと思うと語ったが脱出劇だけのこの映画において様々な場面転換を用いるアイデアの数々はなかなかのものでした。こういうのは好きだ。
まあこうやって良きも悪きも語れるのがこの作品の楽しさだよなあということは再認識させていただきました。