2007/12/22

「ロリータ」(1955) ウラジミール・ナボコフ

「ロリータ」を読みました。(新潮文庫、若島正訳版のほう)

キューブリックによる映画『ロリータ』は私のとても好きな作品のひと
つではあるものの今まで手を付ける事はなかったのですが、機会をもら
い読む事が出来ました。
読むきっかけをくださった方々、ありがとうございます。


さて、そのような(どのような?)きっかけで読み始めたこの作品です
が、出会う事が出来て良かった。本当にそう思える作品でした。

「序」でこの物語の構造がある程度示されてはいたのですが、その上で
始まった「第一部」の冒頭ですっかりやられてしまいました。
なんだ、これは。

この物語そのものが持つトリック、キャラクタと一部の地名を仮名にし
たことと、作中の筆者となる主人公が精神的におかしくなっているとい
う前提の上での一人称ということで現実と非現実の区別がつかなくなる
部分が有る事、そして内容がインモラルであるが故の間接的な表現、こ
れらすべてを示した上で始まった「第一部」冒頭の、言葉の使い方の素
晴らしい事!


最初に挙げた仮名は、そのキャラクタを表現する上で読者の想像力を刺
激すると同時に、手塚治虫も使っていたキャラクタの顔を別のキャラク
タに変えていくような技法の使い方にもなっていた。
現実/非現実の区別のつかない一人称も、その時々の状態が果たして現
実なのか非現実なのかを読者に常に考えさせる。
間接的な表現の多用もまた読者の想像力に委ねたもの。
これらの部分は「ドグラ・マグラ」を思い起こさせました。

そしてさらに物語はロードムービーやミステリの様相まで帯びてくる。

それらすべてをアメリカの当時の文化というヒントで表現することのう
まさ。

そしてそれらを包み込むのが前述のような言葉ですもの。
これで恋に落ちないはずがありません。

しかしながら、何せ常時頭を使うこの作品。
エネルギーを使うこの作品は図書館で借りた=2週間の期限付きで読む
のは、体力の落ちている時期というのもあって正直途中挫折しそうでし
た。
それでもそれらを包み込むのが前述のような言葉ですもの。
最後には無事読み終える事が出来ました。(本の期限は過ぎてしまいま
したが図書館の開館前にポストに返してこようっと。)

それでもこの作品に出会えて良かったです。
読書の本当の楽しさ素晴らしさを久々に思い出させてくれた。

あとそうそう、最後にこの本を読み終えた時、涙していたのを付け加え
ておきます。
何故か? それはこの本を読んだ上で想像してみてください。